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清少納言(メモ)

平安時代の女流歌人。「枕草子」の著者。(原文『枕草子』全巻)。「枕草子」では知性的な「をかし」の美世界を記した。

・993年女房として中宮定子(ていし)に仕える。博学で才気煥発な彼女は、定子の恩寵を受け、2人は信頼関係で結ばれていた。1001年に中宮定子が難産で崩御された後、清少納言は宮仕えを辞めて摂津に引っ越し、再び宮仕えしなかった。なお、中宮定子は第66代一条天皇の皇后であり、父 藤原道隆の死後(糖尿病)、道隆の弟の道長が政権を握り、不遇の時代を迎える。ただ、教養豊かな一条天皇は、打てば響く定子の(清少納言のいる)サロンを気に入っており、道長もそれを分かっていたから長女の中宮彰子(しょうし、一条天皇の皇后)のサロンに紫式部和泉式部を入れ、一条天皇の気を引いたと思われる。

・父も有名。歌人 清原元輔の晩年の娘。清原元輔の歌は「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは」(百人一首、42番)(意味は、「固く誓いましたね、互いに涙で濡れた袖をしぼりながら。あの「末の松山」を決して浪が越えることがないのと同じように、私たちのこころも決して変わるまいと」と、永遠の愛を誓った女性の心変わりを責める歌。なお、「末の松山」は宮城県多賀城市八幡辺りで標高10mほどの小山になっており、869年貞観地震でも小山は無事だった(2011年東日本大震災でも無傷))。

貞観地震の津波は「末の松山」を越えたのか?: 夢幻と湧源

清少納言百人一首歌は、「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ」(62番)(夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関ならともかく、この逢坂の関では決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)) 

【百人一首講座】夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ─清少納言